交響詩《虚空》について ~高橋空山~

終戦後、わたしはすべての公職をしりぞいて、南海のほとりの断崖の上にポツンと一つだけ町をはなれて建てられた破家に居をさだめました。ここは毎夜のこと遥かに遠く夜空にかすかにふるへる東京の灯を窓べにのぞめるのでした。かくして波の音をききながら夜ごと眠りに入るのでありました。

すべての日本的なものは、戦勝に酔つた連合国中の心なき者によつて根だやしにされるだろうとは終戦時に考へたのですが、まさにその通りでした。しかし、心ある善き欧米人らが素張らしく尊い文化遺産とたたへたもの、それをまもりぬくために身をもつて、これにあたらねばならないとは、初めからの考えでした。しかし、すべての日本的なものが、目のあたり泥足にふみにじられ、亡び行くうめきをあげた時、幾度かその心は怒りと悲しみとに震え、しばしばその気は萎えました。かくして配給のフスマを食らいつつ、遅々として専攻の日本造園学研究を、細々と進めようとしたのでありました。そして長年なぐさめとして嗜んできた普化尺八すらも吹く気力を一時失つていましたが、思い直して、これを世界楽の立場からふりかへつて見ようという考えがわきました。それで洋楽の専門書を片つぱしから読み直し実験実習をボツボツと始めたのです。

そして普化楽曲の確立をはかり、これを五線譜にする至難の仕事を果したのであります。これは普化宗史の研究につぐべき第二段階の仕事でもあつたわけです。これを知つた東洋音楽学会では、その結果を講演してほしいとのことでした。その時に話したことと、録音テープのことが、野村良雄芸大教授の心に深く印象づけられたものと見えて、同氏が渡独の折にミュンヘン放送局から世界の宗教楽について、講演をたのまれた時に、この録音テープをつかつたのでありました。またフランスやベルギーの音楽専門書のなかに、同氏がこの普化尺八のことを紹介されたのであります。

つまり、宗教楽における器楽としては、日本における唯一のものであり、しかも欧米が今もつとも求めている禅芸術の一つでもあるわけで、かれらにとつて魅力あるものだつたのです。

そうしているうちにベルリン大学教授で、世界的音楽学者であり評論家でもあるシュトッケンシュミット博士が、昨年夏に日本に来られました。その折にわたしの普化尺八を日本音楽学会からの依頼によつて、同氏にきかせて差上ることになりました。その時に、同氏は《遠大なる伝統音楽》と評し、これを日独の専門誌に紹介されたのでありました。また、その折にピアノの世界的名手のマックス・ウェーベルとNHKの指揮者のシュヒター両氏が互にwunderbarをいひかわして感激し称賛していたと傍でこれをきいていた人が知らせてくれました。

音楽は直観的なものですから、国際的なものです。そして悟りに似ていますから、この普化尺八曲は、音楽における禅の公案(問題)のようなものです。従つて主に直観にのみたよつて生きぬいてきてそれがおのづから深まつて行つた一般民衆と、特に心境の高い練れた人々には、楽曲の気分がほぼ察せられるのでありましよう。そしてなま半かな変な論理にこだわつていて、それから飛躍し抜けきらない「学者とパリサイの徒」には閉ざされた門となつていることは色々な評者の言の推計から、このことが解るのであります。

とにかく日本で古くから名曲として知られてきた曲が、勝れた権威者の外人からみて、やはり宜しいとされたのですから、これでわたしが初めに考えた世界楽の立場から普化尺八曲を見直すという狙いが、いささか達せられ好結果をもたらしたわけでもあります。こんなことになるズーッと前から、これをどうやつて後の世に残したらいいかと考え、時勢ということも省みて、これに音楽的に分解説明を加えたピアノ伴奏をつけてみました。こうすれば一般人に更に親し味をもたれ解りやすくなり楽しめるだろうと秘かに思つたからです。名曲であるが難解の普化秘曲のいわゆる民衆普及化であります。

これをためすために、先ず《虚空》を小野アンナ女史の弟子である弟の衛三男にヴァイオリンで弾いてもらい、それにピアノ伴奏をつけたものを、録音テープにして、田辺尚雄氏らの音楽学者にきいてもらいました。田辺氏は賛嘆し、中共芸術院に贈りたいから楽譜をほしいとのことだつたので差上げました。後にこの譜はシュトッケンシュミット博士にも贈りました。

このヴァイオリンとピアノの譜をひろげて交響曲にして母校の北大管絃楽団に贈りたい、そして後の世に、この滅び行く日本の名残を永遠に伝えてもらいたいと念願し続けていたのでありました。今を去る四十年前にまだ北大の学生だつた頃に、私が邦楽を率い、親友の今は亡き森田繁君が管絃楽団を組織して、これを率いていた時にその森田君にむかつて「いつかは君が好んでくれる《虚空》を交響曲にして君のつくつた管絃楽団でやれるといいな」と話し、「うん、そうなつたらオレは再び札幌に来てタクトをふるよ」といつた若い二人の夢を実現し約束をはたすためでもあつたのです。こうして交響詩《虚空》は初めから北大管絃楽団のものたるべく運命づけられていたのだつたと云えるでしよう。

そして吉本千祖助教授が、この春に拙宅に訪れられた折に、このことを同氏に話しましたら非常に感動されて、必ず岡不二太郎教授にお話して実現しましようと申してくれました。これを聞かれた岡教授から直ちに御手紙があり直ちに楽譜を送るようにとのことでした。

わたしは弟と二人で、更に推敲をかさね、弟を編曲者として、その弟のやはり北大医学部を出た新吾の三人の名で、北大に献げたのであります。

そして、六日二十日の札幌市民会館における北大管絃楽団定期演奏会で公開するのに、立会うように来いとの岡教授よりのお話によつて、急いで飛行機で札幌にむかつたのであります。

そして、その練習を、夕闇せまるニレの森の旧中央講堂でききました。それはあたかも安保反対闘争の赤旗のもとに、騒然たるさなかでした。それをよそにして、よき勝れた後輩の指揮者川越守君によつて指揮された、清純そのものの団員諸君が奏する白熱した《虚空》をきいて感激と感謝のあまりに涙のくだるのを抑えることが出来ませんでした。そして涙にむせびつつ一人一人に握手して回り、有難う有難うといはざるをえなかつたのです。

かねて欧米の大学管絃楽団よりも好いとはきいていましたが、これほどまでとは思わなかつたのです。細かな演奏の注文をする筈で飛来したのですが、何も申すことは要りませんし、また出来えなかつたのです。あくまで自主的なものにした方が、却つて曲が生き生きとするのでした。もつともよいことは「心の清いものは神を見るだろう」とのことの通りで清純そのものであり、それが白熱され、ダイヤとなり、エメラルドとなり、ルビーとなり、オパールとなることでした。そして音楽は単なる技巧ではないとのことを、この時はど強く感じたことはありませんでした。わたしは思わずMusik ist nicht Geist, aber Seele!と叫ばざるをえませんでした。そして《美しい魂からのみ美しい芸術が生れて来るのだ》ということを目のあたり見たのであります。その最後の練習日の十九日夜には、岡先生と川越君とを両側にし、その腕をかかえて、カントが最後に発した言葉Es ist gut!を楽員にその拍手のうちに贈つたのであります。

思えば、すりへらされた魂のない職業的意識やいまわしい経済が目的の楽は、もはや楽そのものではなく、単なる手段となつてるので、美が全面的に浮かび上つて、こちらに向つて流れてこないのです。人を涙させるほど感激せしめないのです。やはり、《人は目的そのもの》であるべきでしよう。禅的にいえば虚空三昧であるべきです。

それらは、とにかくとして、二十日の市民会館における本演奏は大成功であり、通路にまで立つて聞きながら拍手している北の国の素朴な市民たちを見ました。その喜んで声援する態度のうちに、静かな落着きのあることを感じとつて、心に満足を真に覚えてることが解り、心からたのもしく思いました。

かくして、わたしの在札四日間は、まさに天国でした。何から何まで御親切をうけた岡教授御夫妻や和田俊彦君や山鼻康弘君に送つて頂いて、再び飛行機で、かえりたくない帰路につきました。

それから後、二ヵ月にわたる沈思により、批判や誤解にこたえるものを、後述のようにかいたのであります。

その間、団員諸君が心をこめて贈つて下さつた小熊の彫刻を眺めながら、毎日《虚空》の録音テープをきいて、心をはげましました。しかし、涙の霧のうちに小熊が消えうせて行くことが、しばしばでした。こうやつて出来上つたのが、次の文です。

☆   ☆

この曲は、普化宗尺八曲として伝わる《虚空》の一部分を、交響化したものであります。この古伝の曲に、わたしがピアノの伴奏をつけ、それを基にして弟の衛三男が交響曲に編曲したものであります。原曲は般若の真空妙有を現わすものとされています。

そして去る六月二十日に、札幌市民会館において、母校の北海道大学管絃楽団によつて初演されました。それは、これを北大に献呈した為であります。

これに向つて、各方面の人々から反響があり、すでに録音テープが、カナダやアメリカにも渡り、身に余る賛辞が、英文で参つております。日本でも洋邦を問わず、各専門家ならびに出来うるかぎりの一般人にきいてもらい、その評を有難くいただいています。

一 微分リズム

わたしとしては、原曲のもつ微分リズムだけは、少なくともこの演奏において全きまでにでていると思つています。これは原曲を、もつともよく知つていられる京都の塚本虚堂氏が証明しておられます。

二 音色

音色の多彩さと、その微分的の移り行きは、色々な洋楽器によつて象徴されています。その表情法は、若人の清純と白熱とによつて極めて科学的に精密に、しかも力づよく体系を追つて現わされています。またその清純さは真空であり、白熱は妙有であり、即ち真空妙有を身をもつて説いている《虚空》でもあります。これらは、凡て言葉に尽しえないほどのお力添えを頂いた岡不二太郎教授により、またよき勝れた指揮者の川越守君と、北大生の限りない苦行による美しさの現われによつて、生かされたのであります。私は感激と感謝との涙なくして、これらの人々を正視できませんでした。

三 微分音階

しかし、わたしを初め皆が、もつとも困りぬいたことは、微分音階のことで、これは尺八では、たやすく出せるのですが、洋楽器では、その構造上から、それを出す事が、ほとんど不可能に近いことでした。これは洋楽器を大改造し、もつと進歩させた時をまつ外はなく、それまでは、単にこれを暗示するに止めるより致し方がなかつたのであります。この点は、芸大の諸教師も「難題難題」と叫んで共に考えていてくれます。

なお、音階拡大や和声や、その他の千余の代行法は、かえつて原意に程遠くならないとも限りませんから、用心してこれを部分的に用いることに、とどめてあります。

それから新しい楽器をつかつて、もつと多彩な音色にし、新味をかえることは費用の関係で残念ながら出来ませんでした。

四 尺八挿入可否

それらのこともあつて、尺八をいれたらということも考えられましたが、これを吹きこなす学生がおりませんし、専門家もそろいません。また微分音の出ない洋楽音のうちに、ポツンと尺八の微分音が浮んだのでは、それはあまりに不調和になりがちです。それなら何も洋楽器でやる必要なく、むしろ尺八だけでやつた方が、はるかに効果的でしよう。尺八の特徴を生かし、これを分解して他の多くの洋楽器に分担させることが不必要です。何も、苦労して交響曲にすることは要らないのであります。尺八の特徴をよく生かし、その上で尺八のもつていない洋楽のよさを採りいれたいというのが、初めからの念願であります。それがかなえられなくなるのであります。そして、もつとも致命的なことは、厳密にいうと、尺八の絶対音が異なるので、その音程が洋楽器と合わぬことです。そして尺八の構造を変えて合うようにすると、全くその感じが変つてしまい、それならむしろやらぬ方がましになるのです。

五 和声、楽式、編成

和声による立体感が楽式や編成などの複雑美が、洋楽美の一つであります。つまり、交響法としての美が、それであります。そして和声は私の研究による東洋古代の和声・対位の法を弟に使わせてあり、楽式は古法通りの自然な無限旋律を基にして、それにいささかな創意を加えてありますが、勿論あらゆる点において原曲の意のあるところを、微塵もそこねないようにと、もつとも心を砕きました、それで、時代色を特につけたのも、その為です。そして近代現代手法をとらず、また敢えて電子楽へと踏切らなかつた原因も、そこにあるのです。

交響楽としての美は、独奏や室内楽の美しさとは、構造も構成も、非常に異なります。それは日本家屋とビルほどの違いがあります。だからといつて、日本家屋がよくて、ビルがわるいなどと比べることは無理なように、これらのものは互に比べるべきものではなく、別種のものですから、各々その仲間うちで比べるべきものと思います。即ち交響楽は交響楽同志で比べるべきものと思います。勿論、曲の楽想内容によつては独奏がよいとか、室内楽がよいとか、吹奏楽がよいとか、重奏がよいとかいう適不適の問題があります。といつて《虚空》は、その楽想内容からいつて、交響楽にして不適当だという理由を、どこにも残念ながら見出せなかつたのであります。虚空は、その細は微塵に入り、その大は一切処に満つるとされているからであります。

評によれば、バッハは幅がありますが単調であり、ベートフェンは力づよいがギコチなく、シューベルトは純ですが味うすく、ショパンは華かですが力なく、グレゴリ聖歌は清らかですが白光がないとされています。これらは凡て作つた人の人格の表われが主なる原因です。勿論、環境もそれにひびいています。

故に東洋で、聖賢でなければ、非の打ち所のないよいものが出来にくいとしたことは、まことに尤ものことだと思います。そして、《虚空》は、交響曲に編曲して、述べて作らざる方法をとつたわけですが、とにかく、こうしてみて初めて解つたことは、原曲は成程賢者の作だつたのだということでした。幅あり、力あり、清純さあり、華かさあり、悲壮さあり、諧謔あつて、そしてその底に東洋の神秘荘厳・悠大・幽玄といつたあらゆる美の要素を傾けることなく有つていたのだつたことが、交響曲に分解してみて初めて、その綜合体なる原曲の意が解つたのでありました。まさにこれ聴明睿智、寛裕温柔、発強剛毅、斉荘中正、文理密察、海博淵泉にして、時によつてこれを出すといつたものであつたのです。故に賢者の原作と断定せざるをえなかつたのであります。わたしの拙ない尺八の《虚空》を通して《偉大なる伝統音楽》と評されたシュトッケンシュミット博士は、さすがに世界有数な音楽評論家であり、わたしはこの偉大さは、虚空を交響楽に分解して客観的にきいてみて、初めて成程偉大だと見直し悟つたわけであります。故に交響楽にしてみたことは全くのムダであつたとは、わたしは未だにそうは思われません。

六 楽想

また、哲学を音楽化したスクリアビンの法悦の詩や、宗教を音楽化した数々の名匠のミサ曲・オラトリオ等は、世に存するのですが真空妙有という仏教の睿智、即ち宗教哲学上のことを楽化したのは前者と等しく世界の至宝でありましよう。この至宝は印・支・日の三国に伝来の楽系に加えるに更に今、洋を以つてして、そして、これを交響楽にしたということは、とにもかくにも劃期的なことだといえないでしょうか。

これは、私たち兄弟によつて企てられ、母校の岡教授と北大管絃楽団とによつて、実現されたのですが、わたしたちの編曲も演奏もわたしたちがこの世を去るまで訂正して行こうと誓い合いました。そして我々の亡きあとは北大管絃楽団が続くかぎり、永遠にわたつて常に絶えず訂正し続けて行くことを申送りすることになつています。その意図によつて母校の北大管絃楽団に献呈されたわけであります。これは洋楽化した今の日本からみれば、まことに異なことと考えられますが、これが東洋的な方法でもあります。民謡においてその姿が見られ、里神楽においても、この時代と共に歩み行く生きた自然の楽の流れが汲みとられます。このようにして伝承されてきたものは、このようにして伝承されて行くようにしたいと思います。といつて作曲者名を明らかにして、そのままに作曲者を重んじて、伝えて行く行き方を排しているのではありません。それは、それとして宜しいのです。それと共に我々の《虚空》に対する態度もまた許さるべきでしょう。

七 編曲理由

もとより虚空は、普化宗において、剣・禅・笛を究めた後に、相伝される開宗根元の秘奥の曲の一つとされている曲であります。しかし、今の世にあつて、これだけの楽想と素養とをもつて、この曲を尺八で奏することを、人々に求めることは、ほとんど不可能に近いのです。それは、この剣・禅・笛のうちの、その一つを究めるだに至難な時勢となつているからです。わたしたちは、心からこの曲の正しい伝承の亡ぶことを惜んで涙するものであります。これを残すには、縦の時間に一人の人が費すエネルギーを、横に多くの人々が費すエネルギーに転換する外ないと思いました。かくして、交響楽に編成することにしたのであります。そしてこの難曲の演奏の至難の苦行と克服の栄勝とを、わが最も愛する身内である母校の管絃楽団にもとめる外なかつたのです。そして若い魂は物の見事にこれを仕終ふせ、勝利のはえある衣をきたと堅く信じて疑いません。

かえりみれば、四聖を出した東方の道は、天才の行くべき道程であり、それは統一・凝集・抽象に秀でていることは、その経典を見れば明らかであります。それは悉く思想詩であります。これに比べますと、西方の道は分解・具体に勝つている散文であり説明であり、従つて民衆的であります。これは全く相反するように考えられやすいのですが、統一は分化によつて成立ち分化は統一によつて初めて全きものであり、そして統一といい分化というも、それは運動の方向が逆であることに過ぎません。その動き・流れは交流によつて、または静脈動脈の循環のようであつて、初めて全きものでありましよう。その直流・偏流は極端であつて、遂にはその体系をうちこはすに至り、人類の破滅をきたすでしょう。この交流・循環が円かに偏らずに行なわれて行くとき、人の世は栄え行くでしょう。この偏りなきこと、これが中道といわれるものであり、その動きの凡ての根元、電源を神に求めるのが聖者らの真意でありましよう。そして凝集の楽であり、根元であり、統一の曲である《虚空》も他の二百六十余の曲をもつて全きものなのですが、これを《虚空》そのものが交響楽に分解されても、その意は直接であるだけで、やはり道にかなつており、それが開宗の賢者らの意に全くそむくものとはいえないと思います。

そして統一は一なるが故に永遠であり、分化は多なるが故に変化すとされています。

永遠の川の流のうちに筏して、両岸の移り行く変化に応じゆくもの、即ち永遠性と変化性、これを常住と生滅といい、そして常住即生滅、生滅即常住とシャカは申されました。わたしたちは仏子として、これを守り行くのは当然のことです。これが無我にして大我なる行に通うことだと思つています。即ち真空妙有の思想、つまり、「虚空」の一断面であると考えられます。

そして、これらは凡て我々日本人のなす業です。日本人の実現したことです。《虚空》は神々の末なる心高いもののふますらをによつて見られ観ぜられ実にされたものであると申すことが、もつとも楽想の秘奥の扉うちであると信じています。それ故に交響詩《虚空》は、日本の魂のうちに内在するものを仏教をかり、洋楽をかりて表現したものと言えるでしよう。

そして楽の裏は礼であり、礼の裏は楽であり、楽あつて礼なく、礼あつて楽のないのは道でないとした賢者の言をまもつて、いよいよ礼楽の国たらしめることに、いささかの微力を致そうとしているのが、我々の悲願であります。しかし、楽は楽なきに至り、道を楽しむを真の楽となすとした聖言に至ることが、その高い頂でありましよう。

八 結び

とにもかくにも、多くの人々の温かい目なざしと、その麗しい心とに見まもられて、この曲は倖にそだつてきました。それ故に、これから後も永劫に幸多くして、凡ての人類にも、生きとし生けるものにも、生なきものにも、その美しい響を伝えるようにと、心からねがいことほがざるをえません。ここに、これを聞いて下さる方々の御いつくしみ深い御高評と、心よりのお力添えをあつく冀うしだいであります。

敬白   


神は

笛の音であり

そして

琴の音である。

(農学部卒・昭和二年)


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北大季刊刊行会 【第19号】(発行日:1960年12月15日)掲載

高橋空山

高橋空山記念館 Kuzan Takahashi Museum