春の心、桜の心 ~祖父の言葉より

白鳥静香先生のことばより 春の心、桜の心 ~祖父の言葉より



新年も明けて、

書き初めをするという方も

いらっしゃるのではないでしょうか?


私も、

上手い、下手を無視した、

遊びでしかないのですが、

やはり、

一月中に生徒さんたちと書き初めをする予定です。


なので今日は、

書についての言葉を紹介させていただきたいと思います。


これは、

書家でもあった私の祖父が、

ふとしたときに語ってくれたことなのですが、

(私は前にも、

祖父を禅や茶道のことで紹介しているので、

聞いている方は、

「あなたの祖父はいったいいくつ専門があったのか?」

と不思議がられるかもしれませんが、

祖父は禅者でした。


ただ、

禅というものは総合文化であるので、


また、

禅には自分の覚りを仏教の言葉以外の形で

表現しなくてはならないという

習慣があるので、


昔の禅をやる人は、

茶道、作庭(禅寺のような覚りを表現した庭を設計すること)、

庵の設計、華道、漢詩、尺八、書、絵画、

人によっては武道などもですが、

など多くの文化を身につけなくてはならなかったそうです。)


祖父は、

書を書く心得について、

「まず、基本の筆法を大切にしなさい。

基本の筆法を学ぶと自分の癖がとれる。

(祖父は癖は個性ではなくエゴイズムであると

よく言っていました。)


それができたら、

文字の心を書きなさい。

文字があらわしているものの心を書きなさい。


書を書くときは、

単なる文字を書くのではなく、

自分の心(や自分の癖)を書くのでもなく、


たとえば、

春という字を書くなら春の心を、

桜という字を書くなら桜の心を書きなさい。

(東洋の芸術では、「無心」ということを

とても大切にしているが、)

無心ということはそういうことなんだよ。」


と話してくれたことがあります。


(心という言葉が、

自然を擬人化しているようなら、

そのものの特徴や本質といってもよいかもしれません。)


もっと後になって、

別の書家の先生もまた、

私にこれと同じことを話してくれ、


「だから、

自分なりの書体を持っているだけではいけない。

書で自然界のあらゆるものを表現できるようになるために、

あらゆる書体を学びなさい。


それが、

相手にたいして、

自然界にたいして、

誠意をもって相対(あいたい)するということではないでしょうか?」


と話してくれたことがあります。

練達した書家の方の書はとても美しいものです。


練達した書家の方の書はまるで、

紙からシンフォニーや、

ソナタを聞くような、

とくによい草書には、

バイオリンやチェロの名器を奏でたような、

響きがあるように思います。


でも、

私は作品以上に、

そのように他者や自然界と相対(あいたい)する心をこそ

とても美しいと思うのです。


東洋において、

芸術が、

単なる「術」ではなく、

「道」という、

宗教的、哲学的真理をあらわす言葉でよばれたのは、

東洋の芸術が、

作品そのものよりも、

そのような心をこそ大切にしてきたからであるのでしょう。


現代の生活のなかで、

書を書くという方は、

必ずしも多くはないかもしれません。


でも、

自然の心を感じることは、

とくに、

新春のこの明るい陽射しの心を感じることは

とても幸せなことです。


書を書く、書かないとは別に、

あるいは、

芸術をたしなむか?たしなまないか?

ということとは別に、

私たちは、

ときに、

心を無心にして

自然の心を感じてみる必要があるのかもしれません。


それは、

私たちに、

生きる上での、

とても大きな喜びを教えてくれるように思うのです。


白鳥静香著(未発表原稿より)

(※)白鳥静香:作家、評論家、歌人。高橋空山を祖父とし、幼少より薫陶を受ける。

高橋空山

高橋空山記念館 Kuzan Takahashi Museum