日本樂への一考察 ~高橋空山~
星づく宵、神社の森の木の間を透して流れてくる笙・ヒチリキの音をきいたり、また古の久米歌や催馬楽、はては雅楽に基づいてつくられた君ケ代、また普化尺八楽に基いて作曲された荒城の月などをきいたときの壮大で神厳な気分、それはあたかもアジャの象徴ヒマラャをみるような気がするだろう。そして、これは洋楽にない壮大さであり神厳さであって、西欧人が「東洋の神秘」とよんでいるものである。
ところが、これにくらべると筝や三絃の楽は、いかにも四畳半むきの艶かで享楽的なものであって、その気分の違いは大げさにいうと、宇宙のはてにいたるほどの差があることを覚えさせられるだろう。
これはいったい、どうしたわけだろうか。それをまづ形の上から明らかにして行くことにする。このことは、これからの作曲家や演奏家にも、また音楽を心から好んでいる人々にも何らかの役にたつかもしれない。
おおかたの人々は、わが国の音楽は極めて単純な五音階からできあがっているものとばかり考へているだろう。それは、そう教えこまれて来たためである。しかし、このことは明治の初めに上原六四郎らによって作りだされた俗楽における楽理であって、筝・三絃などには良くあてはまるものではあるが、雅楽・声明・筑紫流箏・普化尺八などの正楽にはあてはまらない理なのである。正楽の方では古から五音七声であるとして、これによってもハッキリと俗楽と一線を画しているのである。すなわち、正楽の方は七音階なのであって、ただ洋楽と違うところは、その音の使い方が違うだけで、その音の数からだけいうならば全く同じだといえるのである。
この正楽の五音七声つまり七音階に二種ある。
(一)
re mi (fa) so
la si (do) re
上においてreが基礎音となって居り、そしてmi so la siを合せた五音が主に用いられ、mi siとそれぞれ半音違う(fa) (do)の二音は従属的な意味で使われている。この使い方によっている曲は、大陸系統のものに多い。例としては五常楽などが、これにはいる。
なお上表における第一行と第二行とをくらべるとreとla、miとsi、faとdo、soとreとの間では五度差となり、laとre、siとmi、doとfa、reとsoとの間では四度差となる。またreとsi、faとreとの間 は六度差となり、miとla、soとdoとの間は四度差となる。これらの度差は和声を作る時の大切な基となるものである。
(二)
re mi fa (so)
la si do (re)
上においてreが基礎音となって居り、そしてmi fa la si doを合せた六音が主に用いられ、so reの二音は従属的な意味で使われている。この使い方によっているものは、インド系であってアジャの海岸地方に多い。即ち海洋系統に多いのである。
なほ右の場合でreだけは、基礎音としても、従属音としても使われるといった二役をかねていることは特に気をつけねばならぬ点で ある。この日の使い方によるものの例としては、聖徳太子が生駒山 (又は亀瀬)を登られたとき、馬上で六孔尺八で蘇莫者といふ曲を吹かれたら山神が浮かれて姿をあらわし舞ったと伝えられる伝奇的な曲、その蘇莫者(昔のよみ方はソバクシャ。よみがえれよとの意) が、その一例として挙げうるだろう。また今の五孔尺八で吹く曲としては、九州に古く伝はるサシ(サンスクリットの c′as′即ち教へる との意)という曲で、虚無僧が門べに立って教化の意で吹いたもの が、やはりこの例として挙げることができる。そして面白いことに は、「蘇莫者」の「サシ」 もともに同じ盤渉調(G調)であり、その旋律が全く同じ所があることである。また拍子もともに六拍子の只拍子というものからなってる。なは調や拍子のことについては後にのべることにする。
右のことによって音七声なる意が、ほぼ想像されると思うが、 五つの常用音に加えるに二つの従属音で、合せて七音になるのだが、この使い方の意を含め、それを明らかにするために五音七声といったのである。そしてこの名称は支那の「春秋」や「論語」の証にもでているから、支那の戦国時代までのうちに出来あがったものと思いやられる。
このように七音の使い方が、西洋とは少し異るのであるが、とにかく七音を使っているのである。そして、このことは楽器そのものの上からも証することができる。たとえば、ヒチリキの孔のあけ方は下から順に上へとあけて行くと
筒音 五 工九無六 四 一丄 T
D調 fa so la si do re mi fa so
G調 do re mi fa so la si do re
となって居り、また雅楽の竜笛は
筒音 シ干 五丄 夕 中 六
D調 la re mi fa so la do
G調 mi la si do re mi so
となって居り、D調でsiがなく、G調ではfaがないようにみえる が、これらは孔の組合せやメリカリでだしうる。このほかに神楽笛 や狛笛があるが、これも右と同じようにして 七音階をだしうる。それからつぎに笙の音階をあげてみると
乞 一 工九 乙 丁十美行 七比言上
A調 do re im fa so l a si do re mi fa
八 千
D調 so la si do re mi fa so la si do
G調 re mi so la so do re mi fa so
となっているが、笙は和音にして吹かれる場合が多いのであって、 その場合の和音の構成は、今までは五度構成でできあがっていると考えられているが、前に述べてある(一)(二)の場合の常用音の集約をもつて定旋律に対する笙の和声としているように思われる。この集約 的な使い方は、山田耕作氏などが、よく用いているやり方でもある。
なお、つぎに正倉院の御物となってる八本の雅楽尺八の音階をのべることにする。
一尺四寸四分五厘 E調
一尺三寸四分三厘 F#調
一尺二寸九分八厘 G♭調
一尺二寸七分 G調
一尺二寸六分四厘 G調
一尺一寸九分 G#調
一尺一寸六分二厘 A調
一尺一寸五分二厘 A調
とはばなっているが、その音階は各長・各調ともに皆
箇 一 二三 四 五 裏
do re mi fa so la si
となっている。面白いことは西洋の堅笛もほぼ同じようになっていることである。ただ西洋のは裏穴を表側に回していることが違っているだけである。そしてこれは、モツアルトの頃もまだ使っていた が、今はドイツの田舎などに残っているだけとなってしまった。いわばドイツ尺八とでもいうべきものだろう。なは箱根神社にある陶 製の洞語はE調であるが、孔のあけ方や、音階は雅楽尺八と同じである。
今の日本における五孔の尺八は
E調 筒 一 二 三 四 裏
la do re mi so la
と全音だけになって居り、si faは孔の組合せとメリカリでだすことになっている。それは純正律にするとsi faの半音は上行下行によって微分的に上下するから、これらの孔を皆つくると田中正平作の純正律オルガンのように、すこぶる煩わしいものとなると考えたせい だろう。このことは長い間、声楽に合せてためされた経験の上から、来たものだと思われる。それに手法や見た目の上からも表側に四孔あり裏に一孔ある方が宜しい。とにかく雅楽尺八より一孔をへらし五孔にしla do re mi soという全音だけにし、半音の孔をはぶいて、それを孔の組合せやメリカリで出すようにしたのは、一種の抽象化であって、抽象ずきな東洋人のやり方にふさわしい。そこへ行くと西洋 はこれと逆に、いよいよ孔を多くして、クラリネットを作るにいたったわけである。これまた何事も分解ずきな西欧人のやり方にふさわしいことである。なお今の五孔尺八はわが国の法灯国師が西紀一二 五四年、北条時頼執権の時に、南宋から初めて持って来たものと伝 えられるが、ある学者は徳川末に日本で作ったものとしている。しかし、それは誤りである。というのは、李王良さんが北朝鮮に古くか らわが尺八と全く同じものが伝わっているといわれたことも、その傍証となりうるものである。また筑紫流箏でも、やはり全音だけで調絃していること、また子守歌のうちの古謡がやはり全音だけ使って いることなども傍証となりうるだろう。つまり、徳川前には全音階時代があったことがうかがえる。したがって、尺八が全音階であったとて何の不思議はないのであって、むしろla si do mi faという半音のみ多く使われている徳川末の俗楽と混同することは全くの心得違いである。
それはとにかくとして、一節切や鹿児島の天吹は、尺八とは少し違 っている。北条幻庵 (西紀一四九三—一五八九) 作の一節切は、徳川 前のものであるが、それはA調で
筒一 二 三 四 裏
si do re fa so si
となっている。だから一節切から尺八が変ってきたなどと変なことをいっている者の言はあやまりであることは、いうまでもないことである。
昔鹿児島の人々がふいた天吹は
筒 一 二 三 四 裏
la do re fa so si
となっていて、この方が一節切ににている。
さて、正楽では七音階だけを使って、それでことたれりとして済 ましているかというとそうではない。各全音の間の半音をも思うままに用いているので、五音七声十二律なる名のある由縁が、そのせいである。しかし、この十二律の使い方は Soenberg のものとは違っていて、各全音の周りに集約せられているので、彼のように唸る楽にはなっていない。
そして十二律だけではなく、さらに微分音を使っている。この微分音はインドの二十二律などに遠因していると推しはかられるが、 それをわが国で微分化し、のばしたものと思いやられる。この微分音は Haba やフランスの Daniélou のものなどよりも、もっと細かなものである。これを録音して回転数をゆるめると曲線的な唸りになる。オッシロ・スコープで実験すると、この微分音の入っていない旋律は直線的であり、これの入っているものは曲線的である。これが、わが国でいう節回しの微妙さの基をなしているのであって、 これのないものはブッキラ棒で全く味のないソッケないものになっている。この微分音の使い方は、まことに巧みであって、これは後にのべる微分律動や微分表情とともに世界音楽の最先端をはるかに抜いている点であって、大いにわが国の誇りとして宜しく特筆すべきことなのである。
右のように色々な管にあけた孔や音階によって、正楽における音階は七音階であることがわかると思う。もし五音階でばかりできているとするならば、こんなに多くの孔をあける必要がないのであって、多くの孔がある上からは、それを使うためのものと考へねばならぬのである。この多孔は転調のために要るからなのだとばかり考えるのは、第二次的な問題・課程を第一次的なことにすりかえよう とする考え方にはかならない。
それに、曲譜においては七音階がつかわれている。これは、正楽の七音階であることを、明らかに証しているものである。
そして大体において全音を多くつかっている曲は、初めにのべた壮大な気分をかもしだし、半音や微分音をそれに加えているものは、幽玄・神秘な味をそえているのである。これによって初にいった課題の一部が明らかにされたと思う。
なお、孔の音程はメリカリによって長二度の差があり、また唇の縦横の開き方や筋肉のしめ方によって微分差がうまれてくるので、この孔の音程は非常に不安定なものなのである。したがって、微分音やニュアンスの異る音、即ち、多彩な音色をだしうるわけであるが、とにかくヴァイオリン以上に不安定なものなのである。それだけに自由度の限界も大きいといえるのであるが、とにかく不安定なものだといえる。それだけに音程を決定することは非常にむっかしいのであって、従来のように一~二回の吹奏で音程を決めてしまうなどという学者先生たちの実験方法は何のたしにもならないものなのである。すくなくとも、同じ寸法の管を作って長い年月の間、数多くの実験をかさね、その平均値をとる外にはないのである。
この点、今までのやり方が、あまりにザッであり、従って間違いが多いので、特にここにこれを強調しておく次第である。
もう一つ序でにいいたいことは、基礎音のreの音程のことである。このreを日本的にいへば一越という音程のことになるのであるが、これは西洋のDよりも低く、D♭に近い音程になっている。そして正楽においては、これを非常に重んじて居て、筑紫流箏(先轄の非 上智氏夫人ミナ女史が、現日本におけるただ一人の伝承者)では最終にならう秘曲 「一糸之山」で「中声一鳴神人和楽」と唱へて、この音だけ一つ弾き味わうことにさへなっているほどである。それで、 ここでは凡てre、一越をD♭にして調をきめてあるから、そのつもりで読んでいただきたい。
さて、箏・三絃・胡弓などの俗楽は、右にのべた正楽と、どんな関りがあるかということについて、すこしのべてみることにしよう。 前にのべた(2)の場合で従属的音のre soをほとんどまったくうしない、そのうへに基礎音のreまで失ってしまったものが、俗楽なのである。
mi fa
la si do
そのうへに正楽とは逆にlaを最低音にしてしま ったので、音列がla si do mi faの順になり、そして五音で半音の多いところのいとも物悲しい短調めいたものになってしまったのである。 この基礎音がないことは絶対音感をうしなったことになるのであって、そのために恐しく不確かなものとなり、どんな音をlaにとっても宜しいということになってしまった。だから酔っぱらって神経が 麻痺してうたう声で、てんで正規の音感にあてはまらない状態にあるときでも、芸者どもは客の音に合せて三絃をひいても、それで差支へがないことになっている。それだけに乱調子だといえる。そして 五つきりの音で強弱のアクセントもない無拍子の雨垂れ拍子のものをくりかえしくりかえしつかうだけで、すこぶる簡単きはまるもの、だから、何ら音楽の素養のない者でも結構おぼえられ、崩れた席でそれで楽しめた。こんなわけがらから俗楽といやしめられたのであった。
それにもともと門付の乞食芸から始まったので、底のしれないほどの物悲しさ・哀れさに閉じこめられ、暗い感じがするのである。 これは徳川期の頽廃しきった気分によって、ますますその度が強められたのだった。かくして五音階楽は淫虐な亡国楽として心ある人々から退けられたのである。ところが、この退化した俗楽が、いかにも日本純粋の音楽なるが如くに考へている学者があるが、それは徳川末期が日本の正しい姿だとするのと同じでまったくいはれのないことである。しかも、これが純粋の日本音楽だと称して西欧人に紹介し、これをわざわざ外国に押しかけてまで宣伝これつとめるというのは、はたしてどんなものだろう。
そして、退化したものが民主々義だという変な論理をふり回すことは、真の民主々義をクラークさん以来やしないきたった我々のとらぬところである。
執筆者高橋空山氏は本名北雄、北大農学部園芸学科を昭和二年 卒業、官耺、教耺を経て宗教活動及び尺八の研鑽に専念、目下神 奈川県西秦野町千村に住する普化宗師家である。
昨秋、シュトッケンシュミット博士来日の折、上野音楽学校に招かれて尺八の演奏をした普化宗尺八の第一人者である。その縁により今夏ドイツへ招かれ日本古典音楽の紹介をする予定で併せ てイタリー、フランスに招かれる筈である。氏の交響編曲「虚空」 は日本の古典曲の精神と技巧を試みる野心作で、そのバイオリン曲は既に演奏されている。北大の交響楽団に交響和曲「虚空」の初演をお願いできるかと医学部吉本千顔助教授からお尋ねがあって、私も高橋氏の希望に添いたいと思った。同時に、北大季刊に氏の寄稿を求めて、予想通りの興味深い論稿を得た。読者にも色々の印象あるべく、編集者としても奇特高邁の野心を学生諸君に 紹介出来るのを喜ぶ次第である。
-岡しるす-
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